蒼穹は未だ遠し

晴れのひと時が過ぎれば、全ては日常に復する。
己の歩みを進め、日々の営みを倦むことなく積みつづける。
私もまた、その時の流れに戻るはずだった。

参加者を労い、倉庫に戻って片づけをしていた私は、ふと
銀色の装身具の一揃いを手に取った。
クロノス城にいた頃には噂さえ稀であったノモスの宝飾。
自分で手に入れた物もあるが、殆どは仲間の信頼を経て、
私の手に渡った貴重なものだ。

魔力の増幅器でもある最上の品は、まだ身につけられない。
もう暫くの修行が必要だが、遠い日ではないだろう。

ソレデイイノカ?

一つ一つ丁寧に、収めなおす。
そのすぐ脇には、鎧櫃に収まっているが、青鎧がある。
まだ赤鎧がやっと、という時から集めたものだ。
これも、宝飾と共に、身に纏えるのは先のことになる。
日々が積まれた先の自分の姿は、焦らず求めればいい。

ホントウニソレデイイノカ?

疑念を、頭を振って追い払いにかかる。
皆のような追い上げは、私のむくところではない。

打ち消した記憶の隙間を埋めるように、声が聞こえた。

『当分追い越されないな』

ギルドメンバーの聖騎士の言葉だ。
私をあっという間に追い抜いた彼に、含む所はない。
悔しさなどなく、張り合うほど私も子供ではない。

ソレデモドウダロウカ?

追い抜きは無理だろう、ただ、同レベルにはなれる。
一時的なことだ、無為なことかも知れない。
ふと、悪戯心めいたものが頭をもたげる。

シタカラノアシオトヲキカセテヤレルチャンスデハ?

それだけではない、追いつけば装備を換えられる。
魔力の増幅という実益が伴うならば、或いは?

己の常の考えではないことに、私は気づかなかった。
カイヌゥスを目指すことを宣言し、ギルドメンバーの
一団に加えてもらう。

そこは、生と死の輻輳する土地だ。
疲労を許さぬ戦場、停滞のできぬ疾走、背を向けた地から
アンテクラが追いすがり、戦利品を拾う間に敵が四方から
取り囲んで一撃を浴びせてくる。

一時、召喚の言葉を唱えてもいないのに使い魔が出た。
消える寸前、牙の生えた口元がゆがんだ笑みを浮かべた、
そんな気がした。

走り、撃ち、また走る。
繰り返すうち、精神は酔いはじめる。
理性が湧きたつ血に溺れ、感情が敵への打撃と化す。
更に時間が経つと、酔いなれたまま変化が起きる。
精神は研ぎ澄まされつつ、魂が変容する。
屠ることのみ求める生物へ。
殺戮だけを受け入れる存在へ、皆が変わるのだ。

倒れ伏し起きあがり、転移し、再び技を振るう。

断末魔の悲鳴を!形を許さぬ殲滅を!

自ら死地に飛び込み、斬戟を受け、更なる打撃を与える。

一体でも多き魔を!僅かでも強きものを!


半日にも亘る戦闘の結果、私は成果を手に入れた。
程なくして、聖騎士の驚倒の悲鳴があがる。
どうだ、といささか揶揄含みの笑い声を上げた。
その時、別の聖騎士の一言が私の笑いを止めた。

「いつもの優雅な君じゃない」

走りを歩みに変えて、場違いとも取れる言葉を考える。
そんな言葉とは縁遠い、しかし笑い飛ばすに笑えない。

私は、常と全く違った心で居なかっただろうか?

(お祭り、楽しかったにゃ)

そんな囁きが聞こえて、私は完全に我に返った。
呼ばれなかったはずの存在。我が使い魔は笑っていた。
先ほどの私と同じ笑い声で。

(次はいつかにゃ……ケケケケッ)

また気配は消え、愕然と私は残される。
使い魔にとって、私の狂騒は祭りに等しかったのか。
それとも、これは本当に、私の望んだことだったのか。

死ぬはずだった祭り、流されなかった血は地に吸われ。
私は結局、それをこそ願っていたのだろうか?

ややあって、私は皆と別れ、ターラ原野に戻った。
ひと時の欲求で得たものが良いものとは今や思えず。
倉庫の青鎧も、取り出す気にはなれぬまま寝場所を探す。

些細な感情で、進むべき歩数を間違えたのではないか。
一歩一歩進むことこそ、私に相応しいはずなのに。

溜息をついて見上げた空は、どこか寒々しく映った。


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